塵手水(ちりちょうず)とは? 力士が見せる神聖な所作とその意味をわかりやすく紹介

豆知識
               

監修者・水口 剛

元力士・祥鳳剛(本名:水口剛)。春日山部屋に所属し、2004年に初土俵、幕下東四枚目まで昇進。白鵬関の代理として弓取り式を務めた経験を持つ。
引退後はYouTubeチャンネル「お相撲ぐっちゃんねる」の運営や稽古会の主催、相撲体験イベントの企画などを通じて、相撲文化の国内外への発信に尽力。
Netflixドラマ『サンクチュアリ -聖域-』では炎鳥役として出演したほか、舞台パフォーマンスなどにも参加。
現在は訪日外国人向けのインバウンド相撲イベントや相撲ショーを開催するほか、パーソナルトレーナーとしても活動し、相撲の魅力を伝えながら健康づくりにも貢献している。

塵手水(ちりちょうず)は、力士が土俵入りの際に行う清めの動作であり、日本の相撲文化を象徴する美しい所作のひとつです。水を使わずに心と体を清めるこの儀式は、神聖な土俵への礼と精神の整えを意味します。本記事では、塵手水に込められた意味や歴史、動作の流れを初心者にもわかりやすく紹介します。

塵手水とは

塵手水は、力士が土俵入りのときに行う清めの儀式です。水を使わず、見えない水で手を清めることで心身を清らかにし、神聖な土俵に上がる準備を整えます。力士は腰を落とし、両手を胸の前で合わせ、左右に開き、再び打ち合わせるという一連の動作を行います。

項目内容
読み方ちりちょうず
意味水を使わずに穢れを祓う清めの動作
行う場面土俵入りの際
目的神聖な場に上がる前の心身の清め
象徴敬意、礼節、精神統一

この動作は、単なる儀式ではなく、相撲が神に奉納する神聖な儀礼であることを示しています。塵手水を通じて、力士は「自分を整える心」と「相手を敬う心」を同時に表しています。


塵手水の由来と意味

「塵手水」という言葉は、「塵(ちり)」と「手水(ちょうず)」から成り立っています。
「塵」は穢れを、「手水」は清めの水を意味し、合わせることで「見えない水で穢れを祓う」という考え方を表しています。

日本では古くから、神社での参拝時に手水舎で手や口を清める習慣があります。相撲の塵手水もこの精神を受け継いだもので、土俵という「神の前」に上がる前に、自らの心と体を清める意味があります。

要素象徴する意味文化的背景
塵(ちり)人の心に積もる穢れや迷い仏教や神道での「祓い」の思想
手水(ちょうず)水による浄化神社の手水舎の風習
合わせた意味水がなくても心を清める精神的な清めの表現

このように塵手水は、形にとらわれず「心を清めること」を重視する日本文化の象徴ともいえます。


塵手水の動作と流れ

塵手水の動作は、単純に見えて実は非常に意味深い流れで構成されています。すべての動作が「敬意」と「集中」を表現しており、力士たちは静けさの中で心を整えています。

手順動作含まれる意味
1腰を落とし姿勢を正す神への敬意を示す準備の姿勢
2両手を胸の前で合わせる心を整え、穢れを祓う意識
3両手を左右に開く邪気を払い、心の静けさを保つ
4再び手を合わせる清めの完了と精神統一

塵手水は、神前での「祓い」の所作に近いものがあります。水のない土俵で行うこの動作には、「形より心を重んじる日本人の感性」が現れています。

力士にとってこの動作は、勝負の前に心の雑念を取り払い、真剣に相撲へ挑むための精神的準備でもあります。


塵手水に込められた精神

塵手水の所作には、相撲が神聖な儀式であるという意識が強く表れています。
それは、「清め」「敬意」「無心」という三つの精神によって成り立っています。

精神意味力士の心の状態
清め心と体の穢れを祓う土俵に上がる前の静かな集中
敬意神に礼を尽くす相手と土俵への感謝
無心勝敗を超えた純粋な心雑念を取り除き全力で臨む

力士はこの動作を通じて、自らの心を鎮め、勝敗ではなく礼節を重んじるという相撲の根本精神を示しています。

観客にとっても、塵手水の動作は相撲の荘厳さを感じさせる瞬間です。静寂の中で力士が動くその姿には、まるで神前での祈りのような神聖さがあります。


外国人から見た塵手水の魅力

外国人にとって塵手水は、日本文化の中でも特に印象的な所作のひとつです。
見えない水で清めを行うという発想は、西洋の文化にはほとんど見られません。「目に見えないものに価値を置く」という日本独自の考え方が、この動作に凝縮されています。

国別の印象感じ取る魅力理解される文化的背景
欧米諸国静寂と精神集中の美しさ禅や瞑想に通じる精神性
アジア諸国儀式の厳粛さと礼節共通する宗教的「祓い」の文化
中東・南米「心の清め」という発想の新鮮さ無形の価値を重んじる精神

外国人観光客はこの所作を「神聖な舞」のように感じることが多く、相撲観戦の中でも特に印象に残るといわれます。
力士が静かに動作を行う姿からは、力強さの中にある日本的な静けさの美が感じられるのです。


塵手水と他の清めの所作の違い

相撲には塵手水のほかにも、さまざまな清めの所作が存在します。それぞれの動作が異なる意味を持ち、全体でひとつの神聖な儀式を形成しています。

所作目的行う場面象徴する意味
塵手水心と体の清め土俵入り神聖な精神の準備
塩まき邪気を祓う取組前土俵の浄化
四股地を鎮める土俵入り・準備運動邪悪を踏み払う
柏手感謝と祈り儀式全体神への敬意の表明

これらの所作はすべて、神に仕えるという意識から生まれています。
塵手水はその中でも、「心の浄化」に特化した最も内面的な儀式といえます。


塵手水を観るときのポイント

相撲を観戦する際、塵手水をただの儀式として見るのではなく、力士の心の準備として見ることで、より深い感動を得られます。

観るポイント注目すべき点感じられること
手の動きゆっくりとした開き方と合わせ方静と動の調和
表情無言で落ち着いた表情内面の集中
タイミング土俵入りの静寂の瞬間空気の張りつめた緊張感

このように塵手水を意識的に観ることで、相撲の美しさがより深く伝わります。
それは単なる勝負の前の動作ではなく、「礼の文化」が形になった瞬間なのです。


まとめ

塵手水は、相撲の精神と日本の礼の文化を象徴する重要な儀式です。
力士がこの所作を通じて見せるのは、力の誇示ではなく心の清めと敬意の表現です。
水を使わずに心を清めるという発想は、日本独自の「見えないものを尊ぶ文化」を体現しています。

土俵の静寂の中で行われる塵手水には、祈り・集中・礼が共存しています。
この一瞬に込められた意味を理解すれば、相撲は単なる競技ではなく、日本文化そのものを映す神聖な舞台であることが実感できるでしょう。

塵手水は、見る人の心をも静かに清め、力士と観客の心を一つに結ぶ――そんな深い力を持つ、日本の誇る伝統所作です。

コメント